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東京地方裁判所 昭和30年(ヨ)4781号 決定 1957年4月30日

申請人 久保田芳男

被申請人 凸版印刷株式会社

主文

本件申請を却下する。

申請費用は、申請人の負担とする。

理由

第一申請の趣旨

「被申請人が昭和三〇年八月二六日申請人に対してした懲戒解雇の意思表示の効力を停止する。」との仮処分命令を求める。

第二当裁判所の判断の要旨

(一)  申請人が昭和二三年四月被申請会社(以下、会社と略称する。)に雇用され、別紙経歴書記載の業務に従事したこと、会社は昭和三〇年八月二三日申請人に対し本社工場凸版印刷課より同工場作業課校正係に配置転換する旨の意思表示をし、申請人において、これに従わなかつたところ、会社は、同月二六日就業規則第五八条第四号にいう「職務上の指示命令に不当に反抗し、職場の秩序をみだそうとしたとき」に該当するとして、申請人に対し懲戒解雇(会社給与規則により原則として退職金の支給を受けない不利益を伴う解雇)の意思表示をしたことは当事者間争ない。

(二)  協約違反の主張について。

申請人の所属する凸版印刷労働組合およびその事業場別支部組合(以下組合または支部組合と略称する。)と会社との間に当時労働協約が存在し、その第一一条に「会社と組合及び支部組合とは経営協議会又は事業場別経営協議会(以下、単に経協と称する。)を設置する。

右の事項については経協において協議の上決定する。

(1)  労働時間、休日、賃金諸給与その他の労働条件及び福利厚生に関する事項。

(2)  労働協約の解釈制定改廃

会社は人事に関する基準、営業、作業、生産に関する方針計画、職制機構の制定並びに改廃については各事業場限りの事項事業場別経協、又全事業場に共通する事項は経協にはかつて実施する。」

との条項の存することは当事者間争ない。

申請人は、「前記第一一条にいう「人事に関する基準は………経協にはかつて実施する。」とは、およそ会社が従業員に対して人事上の各種の措置をとるときには、その措置をとる必要性とその必要性に基き行うべき一般的基準の設定とを、その実施に先立つて組合にはかり、組合において会社側に恣意的な人事措置があれば、これを阻止できることを保障した趣旨であるから、申請人に対する前記配置転換は、前記条項により事業場別経協において右配置転換の必要性ないし実施のための一般的基準が協議され組合の承認を経て行わるべきものであつたのにかかわらず、この手続を経てなされたものでないから、右配置転換の意思表示は無効であり、従つてこれに違反したことを理由とする懲戒解雇の意思表示もまた無効である。」と主張する。

しかしながら、協約第一一条末項の文言上の趣旨は会社が人事に関する基準を制定したり又は改廃するについては事業場別経協又は経協の諮問を経て実施すべき旨を定めたものと解釈するのが相当であつて、これを申請人主張のように具体的に或る従業員の配置転換を命ずる場合には組合の承認を得た一般的基準に基いてなされなけばならない旨を定めたものと解釈できないばかりでなく申請人の全疎明によつても、労使間において、右協約第一一条が申請人主張のとおりの意味内容を有する規範として理解されてきたとは認められず、かえつて疎明によれば、凸版印刷労働組合としては、「人事に関する基準」の外になお解雇、異動等をも経協における協議決定事項とするよう協約を改訂する努力ないし会社をして右協約条項の内容を申請人主張のとおりに解釈させる努力をしているが、現実には、会社側において作業体系の変更などによる相当広範囲の人員異動などには、その円満な実施をはかるため経協の協議事項とする程度のことが考えられているに過ぎず、これまで会社側から個々の人事異動を事前に経協の議題とする措置をとつたことがなく、組合も会社からの異動の通知(会社としては、協約または就業規則上の義務としてではなく、人事異動の円滑な実施を目的とする意味において行つている。)があつたのち、意見があれは経協の開催を要求して来たこと、その実績としても、例えば会社板橋工場においては、昭和二九年一月から昭和三一年一〇月頃まで約二〇〇名の配置転換が実施されて来たが、昭和二九年六月から昭和三一年頃まで個々の人事異動について経協が開催された件数は二件、人員数にして九名で、何れもその経協はものわかれのまま、会社の当初の意向どおり発令されたことが一応認められる。

以上の諸点から見ると、協約第一一条が申請人主張の内容を持つ規範として定立されたとの点について疎明なきに帰すると認めるのが一応相当である。

従つて、協約第一一条が個々の人事異同をも経協における協議決定事項とする趣旨であることを前提とする申請人の前記主張は理由がない。

(三)  不当労働行為との主張について。

申請人が入社以来別紙組合経歴書記載の組合活動をして来たことは当事者間争がない。

申請人は、「凸版印刷課から作業課校正係へ配置転換されることは、個人的には印刷技術の習得ができなくなるため印刷技術者としての将来が閉ざされる外、昇給の率も悪くなり、従つて退職金の額も減少する不利益を受ける。また組合活動の面においては組合意識の弱い作業課へ配置転換されては、組合活動について十分な支持が受けられなくなる上、作業課選出の組合委員となつても校正係の仕事は代替性が少いので組合関係の会合に出席するについて不便であり、結局本件配置転換は、別紙のように活溌な組合活動をした申請人に十分な組合活動をすることをはばみ、引いては支部組合の活動を弱化することを目的とするものである」と主張する。

申請人が凸版印刷の機械技術の習得を希望し、そのためには何よりも先に凸版印刷課において可及的速に右印刷技術を身につけたい意図を有していたことは推知するに難くない。しかしながら一般企業の職場がそうであるように被申請会社においても企業の運営上印刷技術を直接に身につけるに役立つ職場ばかりでないことは勿論であるので、当初の労働契約によつて特定職場のみにおいて勤務する旨の別段の約束のない限り会社業務の都合上自己の意に満たない職場に配属されても、それが当初の労働契約の趣旨に反しない限り不当とするに足りない。ところで凸版印刷課内の作業課校正係は、凸版印刷機を以て印刷した製品の校正等凸版印刷の技術に密接な関係がある職務であるから、一時同係に転じたとしても(会社は辞令交付に際して申請人に対し長く校正係だけをさせる趣旨でないことを明言したことは後記認定のとおりである。)、印刷技術者としての将来を閉ざされるものとは認められず、また昇給の率が悪化するに至るとの疎明もない。

また作業課員は組合意識が弱いとの主張事実についてはこれを認めるに足りる十分な疎明がなく、更に組合活動は、原則として就業時間外になされていたのであるから、作業課校正係は激務で残業等も相当しなければ事務を処理できず、従つて就業時間外の組合活動も十分にできないし又は就業時間中に例外的に行われる組合関係の会合に出席できない事情にあるとの疎明のない本件においては、その職場が従前の職場と同一職場内にある関係から見ても申請人が校正係に転じたことをその組合活動に特段の不自由を生ずるものではないものと認めるのが一応相当である。

もつとも一般的に人的結合の面から見て従来の職場を去ることは組合活動に不便であることは諒解できるけれどもその職場転換が業務上の必要に出たものであつて、特に団結を阻害する意図の認められない限り不当とするに当らない。ところで疎明によれば、昭和三〇年八月作業課校正係であつた大田耕作(千葉大学印刷科卒業者)が二年程校正事務を担任したので、同人の希望もあり、新しい復写伝票の機械に配置換することとなつたので、凸版の校正係に一名の欠員を生じたこと、そのため凸版印刷課の重要なポストにいる人でないが、凸版印刷に多少の経験を有する者で、校正係のような頭脳的で事務的な仕事に向く性格の者を同課から物色した結果申請人が最適とされたことが認められるのであつて、会社が本件配置転換をした理由ないし申請人を後任に選択した理由が不合理であること及び申請人の平素の組合活動を嫌悪してこれを滅殺し、その他組合の団結を阻害する意図に出たものであることを認むべき疎明はない。

以上の諸点から見ると、本件配置転換が申請人の希望に反したものであつても、かかる措置を会社が申請人の活溌な組合活動をしたことを理由としたものともまた今後の申請人の活溌な組合活動を阻止し、引いて組合の弱化を企図してなしたものというに足りない。

従つて、申請人の本件配置転換が不当労働行為であるとの主張も理由がない。

(四)  就業規則所定の懲戒解雇の事由に該当しないとの主張について。

申請人は、「本件配置転換については、昭和三〇年八月二四日から二六日までの間支部組合と会社との間で事業場別経協を開いて交渉中であり、殊に申請人のように支部組合の執行委員長を長くしていた者が、交渉の結末をまつていることは非難されるべきことでないから、これを職務上の指示命令に不当に反抗したことに該当するとして懲戒解雇することは失当であり、申請人の行為は、就業規則所定の懲戒事由に該当しない」と主張する。

しかしながら、疎明によれば、申請人と会社との労働関係は、就業規則第五九条に基き会社側の業務の都合により行われる職場の変更に対して、これを拒否すべき特別の理由のないときはこれに従う義務のあることが定められていること及び前記認定のとおり、協約上も組合が会社の人事異動に介入してその発効を阻止できる制度になつていないことから見ると、組合が会社と交渉中であるとの一事で申請人が本件配置転換を拒否できる特別の理由ありとするに足らずしたがつてその命令に従う義務がなくなるとはとても認められない。そして疎明によれば、(一)申請人は昭和三〇年八月二三日辞令の受領を拒否し、会社側の配置転換の理由や、校正係になることも印刷技術の習得に役立つこと、また長く校正係だけをやらせるわけでもないことなどの説明を受け、更に業務命令に遠反しないように注意を受けたのにこれを聞き入れず、申請人の所属課長の説得も拒否したこと、(二)支部組合は同月二四日事業場別経協において会社に対し前記配置転換は申請人の希望に反することであるし、組合としても了承できないから、申請人の配置転換を撤回するよう交渉したが、会社は本件配置転換の理由を説明し、工場運営のあらゆる面を考慮して定めたことであるから、本人が希望しないとか組合に異存があるとかいうことだけでは撤回できない。むしろ本人の説得を求めるという態度であつたこと、次いで会社は同月二五日支部組合に対しこの問題に対する組合の態度が明確でなく、このまま放置することは社内の秩序維持のため困るから翌二六日正午までに申請人を説得するように求めたが、支部組合は配置転換を承認すべきだとする議論と反対論とが対立し、同日夕方まで支部組合の意思を決定できなかつたこと、(三)他方被申請人は作業課長の会見の申込、三、四回にわたる組合執行委員長を通じての本社工場長の会見申込も全部拒否したこと、同月二六日夕方本社工場長は配置転換の辞令と懲戒解雇の辞令とを用意し、申請人が配置転換の辞令を受領するなら、懲戒解雇は取り止める心算で申請人を呼んだが、申請人は頑固にも遂に工場長に会うことを拒否したことが一応認められる。

以上のような状況の下では、申請人の行動は就業規則第五八条第四号にいう「職務上の指示命令に不当に反抗し、職場の秩序をみだそうとしたとき」に該当しその情状重いものと認められてもやむを得ないといわなければならない。

従つて、就業規則所定の懲戒解雇事由に該当しないとの申請人の主張も採用することができない。

(五)  以上の通り本件懲戒解雇の意思表示が無効であるとの申請人の主張事実はいずれも疎明がなく他に申請の如き仮処分をする事由もないから、本件申請を失当として却下し、申請費用は民事訴訟法第八九条により申請人の負担すべきものである。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 大塚正夫 花田正道)

(別紙省略)

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